私の人生に影響を与えた物語

1)  知能テスト

 

5歳の時(幼稚園)にIQテストを受けたところ、IQ158でした。 私のIQスコアは天才レベルで高かったので、両親は先生から学芸大学付属の小学校の入学試験を受けるように勧められました。試験当日、試験開始前にトイレに行きたい人はいますかと先生に聞かれましたが、当時恥ずかしがり屋だった私は手が上げられませんでした。試験開始後、トイレに行きたくなり(少しおしっこをちびりました)、試験に集中できず、まともに答えを書くことができませんでした。試験が終わった後、キリンに角があるかという問題に、キリンには角がないと回答したので、不合格になったと思いました。 しかし、私の両親はテスト結果だけでなく、抽選で合不が決定すると慰めてくれましたが、私はそれがただの気休めだと思いました。大人になったとき、会社の飲み会でIQスコアがIQ158だと自慢した時、スタッフの一人が私はIQ180ですと言ったので、飲み会が白けてしまいました。 その時、誰かが彼に少しは空気を読めよと言っていました。偶然にも、私は今、その天才と一緒に仕事をしています。

 

2)  自己主張

 

私は3人兄弟の次男で、自己主張が強い性格でした。 ある説によれば、長男は最初の子供なので愛され、三男は最後の子供なので愛される、逆に私のような次男は、両親があまり気にしないので、自己主張が強くなるのではないかと言われています。 兄弟同士の喧嘩でも、私は長男や三男と1対2で戦うことが多く、私が強くなったのかもしれません。『3人寄れば政治が始まる』と言われるのもの納得できます。不思議なことに、恥ずかしがり屋の私が、いつの間にか目立ちたがりになっていました。

 

3)  平等

 

中学に上がると、体も大きく成績も良かったので、私は皆から注目され優等生として扱われました。入学した中学はバスケット部が強かったので(3年生が東京都で優勝)バスケット部に入りました。しかし、練習が非常に厳しく、夏休みが終わると入部した約30人が数名に減りました。バスケット部は文武両道の方針で、どんなに練習が厳しくても成績が悪くなれば退部しなければなりません。先輩達は成績優秀でしたがクラブの雰囲気は封建的で、下級生は上級生から奴隷のように扱われ虐められました。この時から、封建的な文化に強い反発を感じるようになり、私は今でも皆を平等に扱おうと努力しています。

 

4)  目標

 

中学3年生の時、駒沢オリンピック公園総合競技場で目黒区中学校12校による連合体育大会が催されました。当時、私はバケツボール部に所属していましたが、大会開始の1週間前に、体育の教師から君はジャンプ力があるので、走り高跳びに参加しないかと勧められました。それまではスパイクを履いたことがなかったので、陸上部の友達からスパイクを借りて走り高跳び大会に出場することにしました。他校の選手たちは走り高跳びを3年間練習していたので、ベリーロールやロールオーバーなどの走り高跳びの技術を持っていました。私にとって走り高跳びは初めてだったので、小学生の頃のゴム縄跳びのように正面飛びで飛びましたが、なんと優勝してしまいました。記録は160cmとたいした記録ではありませんでしたが、他の選手が飛べなかったのでライバルを失い、それ以上飛べませんでした。飛ぶ時に、もしバー(目標)がなければ160cmもジャンプできなかったと思いました。この経験から、自分の能力を発揮するためにはバー(目標)が重要だと気づきました。また、この時、ライバル無しでは自分の能力を発揮できないことも経験しました。それ以来、私は常に明確な目標を持つことや、良いライバルを持つことを心がけています。

 

5)  おまけの人生

 

高校に入ると大学受験にそなえて勉強を頑張りクラスで一番の成績をとるなど、更に優等生になりました。しかし、私が18歳(高校生3年生)の時(1969年)、学生運動が激しくなり、バリケード封鎖などで授業が受けられなくなりました。その間、私は哲学書を読みあさり友達と毎日哲学議論をして、政府批判や受験戦争批判などの理想論を唱えていました。しかし、このまま批判を続けるべきか、批判している受験戦争の大学受験を行うべきかの葛藤で毎晩眠れなくなりました。そして、何故こんなに苦しいのに人は生きなければならないのか、いっそう私が死んだほうが楽になるのでは無いかとまで思いつめました。

 

ある時、私が批判している受験戦争に私自身がはまっていることに気づきました。即ち、試験問題には必ず答えがありますが、これは受験戦争の産物であり、世の中には答えのない問題がたくさんあることに気づきました。例えば『苦しいのに何故人は生きるのか』と言う問いには答えがありません。その時から、一度死を覚悟した人生だから、これからはおまけの人生だと開き直ることができ、どんな困難にも立ち向かえるようになりました。『失うものは何も無い』(Nothing to lose)と思うことで、人は強くなるのだと思います。

 

6)  古希を迎えました

 

部外者として負け犬の遠吠えのように理想論を唱えるだけでは世の中は変えられないことに気づき、大学受験と就職をして組織や社会の中から変革をおこそうと思いました。死を覚悟した18歳から既に52年おまけの人生を歩んできましたが、自分のやりたいことが同時に世の中のためになることが私の理想です。孔子曰く、『70にして己の欲するところに従えども矩をこえず踰えず』

 

今年の広島原爆記念日(8月6日)は、私の70歳(古希)の誕生日です。子供の頃、私の誕生日に日本中の人が犠牲者ために祈るので、私は犠牲者の生まれ変わりではないかと思いました。子供の時から、鉄腕アトム(Atom)のように強くになって犠牲者に成り代わって、世の中を良くしたいと思っています。

 

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コメント: 6
  • #1

    松田拓也 (金曜日, 06 8月 2021 06:45)

    古希おめでとうございます。

    面白い文章でした。

    これからも、お元気で長生きしてください。

  • #2

    伊藤俊彦 (金曜日, 06 8月 2021 07:21)

    昔は古代稀なると祝われた70歳も今では単に山の7合目です。ここで美味しい水を一口飲んで次の目標に向かって進んでください。三上さんの人生は三上さんだけに制作されたテレビ番組です。
    面白いストーリーを展開して人生を楽しんでください。

  • #3

    岡田昌治 (金曜日, 06 8月 2021 07:25)

    お誕生日、おめでとうございます。天才だったのですね、知らなかった。たしかに片鱗は見えてましたが。三上さんの70年のうちの何年かを仕事でご一緒させていただいたことはとても楽しい思い出です。スティービーワンダーとかイタリアン・マフィアとか・・・・。おまけの人生にも付き合わせていただければと思います。何年か前に、夜の原爆記念公園を一人歩いたことを思い出しました。この川の底にはまだ人々が眠っているのかと思いながら。今日、8月6日は、ぼくの五人の孫の一人の5歳の誕生日です。天才ではありませんが・・・・。

  • #4

    下田令雄成 (金曜日, 06 8月 2021 10:20)

    古希のお誕生日おめでとうございます!
    『失うものは何もない』に最も共感しました。(三上さんより2周遅れの)自分の人生もまさにその境地に至ってから次々に新たな挑戦が始まったように感じています。
    同窓会でもテニスでも、そして、シャイニングでも引き続きよろしくお願いいたします♪

  • #5

    横田圭五郎 (金曜日, 06 8月 2021 20:18)

    お誕生日、おめでとうございます。
    幼い頃は恥ずかしがり屋だったというのは意外でした。
    十代の多感な時期にいろいろ悩まれ、吹っ切れたとのこと。
    それからおまけの人生というより、本来の人生ではないでしょうか。
    これからもよろしくお願いします。

  • #6

    高久清志 (火曜日, 10 8月 2021 08:45)

    古希、誠におめでとうございます。
    三上さん物語、読ませて頂きましてありがとうございます。
    これからもお元気で素敵なストーリーを続けて頂くことを願っております。
    小生も少しでもストーリーに参加できればと思います。
    今後共、宜しくお願い申し上げます。